Another story
まだまだOVER SMILEの世界に浸りたいあなたへ!
本編では語りきれなかった個性豊かなキャラクターたちの物語をお届けします。
兵士として生きること side by レイ
俺は片田舎の農村で生まれた。人より少し体格には恵まれ、愛されて育ったと思う。そのま ま、ただの農家として生きる道もあった。しかし、俺は兵士として生きることを選んだ。違 う景色を見たい気持ちがあったのだと思う。 「俺は村を出る。入隊試験を受けることにする。」 「お前、兵士になんの?じゃあ俺もそうする。」 「バタク、別に俺の後をついてくる必要はない。」 「レイの真似してるわけじゃねえって。それに、俺の方が強いし向いてるだろ。」 「…そうか、分かった。先に行って待ってる。」 バタクとは、俺が12の時に出会った。確かに昔から怖いもの知らずで肝が据わった奴だ。 狩りも村で一番上手い。まあ、言葉を選ばなすぎる所はあるが…。 「行ってこいよ。俺もすぐに追いつく、ってか追い越しちまうかもな!」 「お前に追い越されないように努力するよ。」 試験に無事合格し、俺は兵士になった。辛いことも多かったが、同じく戦場を共にする仲間 がいる心強さや喜びは、村にいたままじゃ味わえなかったと思う。 「なあレイ、お前、もう副隊長になったんだって?すげえな。」 「次はいよいよ戦場に出るんだっけ?退屈な衛兵の仕事ともおさらばだな。」 「おい、衛兵の仕事を退屈って…。立派な兵士の仕事だろう。」 「はいはい、本当にさすがだよ、お前は。誰よりも真面目に努力してきたもんなあ。」 「本当、教官の目を盗んでミヤビ様見に行こうとしてた俺らとは大違いだよ。」 「お前ら…時々見当たらないと思ってたが、そんなことしてたのか!」 「まあまあ、とにかくお前がすげえってことだよ。」 「そうそう、お前と同期の奴らはみんなレイのこと応援してるからさ、頑張れよ。」 「ああ、ありがとう。」 戦場は、地獄だった。俺は知らなかった。だけど当たり前のことだった。 「やめてくれ!もう降参する!」 「レッド・エイジのゴミ共が、殺してやる!」 一度だけ、敵を深追いして、グリーン・ステイツにある村に入ってしまったことがある。泣 き叫ぶ村人を前に、俺は何もできなかった。 「わ、私たちはただの村人です…どうか、命は…」 「いや、まだ、死にたくない‥」 「兵士でない者を傷つけるつもりはない。」 俺の声は届いたのだろうか。いまだに震えながら平伏している。兵士になってから、戦場に 立つようになってから、俺は自分が正しいことをしていると信じてきた。敵を殺すこと、人 を刀で斬ることを、だ。 自分の血なのか、敵の血なのかも分からない。相手のうめき声なのか、自分の咆哮なのかも 分からない。ただの命乞いなのか、油断を突くための演技なのかも分からない。ただ、敵を 殺すと誉められることだけは変わらなかった。 「オウ・レイ、貴殿を1番隊隊長に任命する。」 「は。微力ながらレッド・エイジのために刀を振るい、精進していきます。」 つまらないほど呆気なく人が死んでいく戦場で生き残った俺は、祝福されながら1番隊隊長 に就任した。従える兵士の数も戦場の規模も段違いになった。 弱音は許されない。俺の一挙手一投足が兵士たちの士気に関わる。感情を素直に言葉や表情 に出すことも、止めるようになっていた。3国が一触即発の状態になると、それをもう無意 識のうちにできるようになっていた。 「やれ、コロンバス。」 「ぐはっ…」 どういうことだ。一度は撤退させたはずの緑が…。思考しようとしても意識が薄れていく。 全身から力が抜けていく。ここまでか…。 目が覚めると、白い景色が目に飛び込んできた。ここはどこだ?体を起こそうとすると痛み が走る。まだ、生きているようだ。 「ここはどこなんだ…病院か?」 医者らしき背中とその奥に少女が見える。声をかけると、少女が手を素早く動かしながら飛 び出してきた。 「…待て、ちょっと待て、なんだ?」 この手を素早く動かすのは、手話と言うらしい。耳の聞こえない者の会話方法のようだ。い や、それよりも気になるのは、その不自然と思えるほどの笑顔だ。…いや、俺が笑顔を向け られることがそもそも不自然になってしまったのかもしれない。 「不安だからこそ笑う、か。」 俺は目を背けてきた。刀を振るう時の相手の泣き叫ぶ声も憎しみに満ちた瞳も全てを諦めた 表情も、いつしか直視するのをやめていた。自分が揺らいでしまうのは怖かった。 あのスーという娘の笑顔、久しぶりに見た笑顔から、俺は目を逸らせなかった。あの笑顔が 偽りだとしても、俺は嬉しかったのだ。 「あの笑顔は、何か違和感がある…。」 あれは敵を殺し続ける俺に向けた顔。そうではない、心の底から喜びを感じたとき、スーは どんな顔をするのだろう。
最善の道 side by シュフ総督
私が総督として婿入りしたとき、その子はまだ年端も行かぬ少女だった。つい先日、父であ る先代の総督を亡くしたばかりで、まだ立ち直っていないようだ。蝶よ花よと育てられ、溺 愛されていたと聞く。悲しみが癒えないのも当然だろう。 「父は、貴方を思慮深い人だと言っていました。慈愛と聡明さで国を包み込んでくれるだろ うと。」 不意に口を開いたのは、彼女の方だった。自分より一回りも年下の、それも家族を亡くした 悲しみと総督妃としての重責を背負う不安の中にいる少女が、自ら歩み寄ろうとしてくれた のだ。応えないわけには行かない。 『前総督は立派な方であった。国⺠に愛され、尊敬され、まさに手本とすべき人だ。言うま でもなく私も心から敬服している。彼が愛したこの国とその⺠を、共に守っていこう、ミヤ ビ。』 彼女は黙って頷いた。年頃の娘が勝手に相手を決められ、政治のために結婚させられる。そ の状況の当事者として、心苦しさを覚える。せめて彼女が望むことは可能な限り叶えてやろ う、そう思った。 総督になってすぐ、⻘の国・ユーリー・ブルーを見る機会が訪れた。 「レッド・エイジ総督、初めまして。ユーリー・ブルー皇女、レオナ・ノエルと申しま す。」 「レオナ殿、お招き感謝する。ユーリー・ブルーのデイムも、ジーナ・ローレンと言った か?街の案内をありがとう。真に美しく、皆が生き生きと輝いている国であった。」 「だって。良かったね、皇女様。」 「なんか、総督ってかっこいい名前だけど、弱そうだね。」 「そうだね。レッド・エイジなのに、全然強そうに見えないね。」 「パピコ、ペネルペ、余計な口を挟むな。あとジーナも敬語を使え。」 ⻘のナイトとデイム、そして側近だろうか。皇女の前でも随分自然体、というか自由気まま に見える。この国の国⺠が生き生きしているように見えるのも、皇女の懐の広さに理由があ るのだろう。 「皇女殿、貴方の温かい人柄があってこそ、この国の⺠は輝いているのだろう。この目で見 れたこと嬉しく思う。ぜひ次は私の国に招待しよう。」 「総督、お褒めいただきありがとうございます。そのお誘いが叶えば良いのですが...。」 「...確かに、私の国の者は他国を毛嫌いする者も多い。その現状も、我らで変えていけたら と思っている。」 「そうですね。これ以上戦士たちが傷つくのは、私も見たくありません。」 当然、ユーリー・ブルーとの国交をよく思わない者もいたが、その者たちの抵抗感も少しず つ平和な世界への期待に変わっていった。しかし、膨らませるより遥かに速く、期待は割れ て地に落ちた。 新たなグリーン・ステイツ宰相として、ドナルド・ケンタッキーが着任した。以前から好戦 的だった緑は、さらに国⺠や他国を焚き付けるような行為が増え、3 国は一気に緊迫状態に なった。無論、以前のような⻘との交流も断絶された。 「ねえ、今回のは明らかに挑発行為よ!打って出るべきだわ。」 「戦争が起これば、必ず無関係な⺠も傷つく。自ら進んでそのような決断をするわけにはい かない。」 「グリーン・ステイツが消えれば、少なくとも緑に傷つけられる⺠は減らせる。そうは思わ ないの?」 「どんな国にも戦争などしたくないと考える⺠はいる。彼らを無視などできない。」 「他の国のことより、まずはこの赤の国のことを考えて!」 「ミヤビ...。お前のお父上だったらきっと、」 「父のことなんてどうでも良い!貴方は、思慮深い人間なんかじゃない!誰かが傷つく決断 を、誰かがしなきゃいけない決断を無視して逃げてる臆病者よ!」 そう言い放ち、くるりと背を向けて去っていく。心なしか、昔よりもカツカツとなる足音が 鋭く響いていた。優しい父を尊敬し、赤の国を誰よりも愛した彼女はもういない。 過去に思いを馳せると同時に、ミヤビのものより少し鈍い足音が聞こえてくる。 「総督様、以前から仰っていた国境付近の警備についての話ですが、今お時間頂いても?」 「リュウソウか、すまない。少し休ませてくれ。」 「...お疲れのようでしたら、また後日にいたします。」 「いや、少々考えることが多くてな。」 「考え事...昨今の緑の動きについてですか?」 「そうだな...。戦争の気配が濃くなり、緊張が高まっている。我が国がどう対応すべきか... ⺠の意見も分かれはじめている。リュウソウ、お前はどう思う?」 「⺠の分断も戦争も、3 国が存在する限り、いずれは起きていた。偶然、私や総督様が生き る時代に、それが訪れただけのことです。」 「戦争は避けられないと?」 「中立の立場を選択し続けるのは、いつの時代も愚者のすること。総督様も分かっておいで のはずです。」 「...そうか。お前の意見は分かった。だが、もう少し、最善の道を探りたいと思う。」 「...そうですか。では、私は失礼します。」 そう言って、資料を渡して去って行く。背中に描かれた鳳凰がくっきりと映える。 総督になってから、様々な者と話すことが増えた。オウ・レイやバ・タク、カン・リュウソ ウ、そして、ミヤビ。ユーリー・ブルー皇女や⻘のナイトとデイムとも語り合うこともあっ た。 「最善の道...か。」 自分でそう言ったものの、まだその道の先に何があるのか、不透明なままだ。むしろ、様々 な者を知るたびに分からなくなっていく。 ⻑い廊下を歩くリュウソウが、もう姿が見えないほど遠くにいるのを尻目に見る。昔から読 めない男だ。あいつが思い描く未来はどのようなものなのだろうか。足音を響かせて進むそ の後ろ姿が、何故かミヤビと重なった。
皇女としての覚悟 side by レオナ
全身を蝕む熱のせいか、⻑時間横たわっているせいか、目が覚めてもまだ夢の中のような心 地がする。 「レオナ様〜、起きた?」 「おはよ、レオナ様、大丈夫?」 「心配してくれてありがとう、パピコ、ペネルペ。」 風邪をひくのなんて、何年振りだろうか。近頃は体調を崩すことなんて滅多になかったのに ...。国境付近に住む⺠の暮らしを知るために、無理を通して直接視察に行ったことが障った のかもしれない。 「レオナ様、失礼します。」 「...ソロリス、その花は?」 「腕利きのデザイナーに作らせた、百合のフラワーアレンジメントです。少しでもレオナ様 の苦しみを癒せたらと...。」 「皇女様、起きた?」 「ジーナ!部屋に入るときはノックをしろと、あれほど、」 「これ、持ってきたよ」 「いや、無視するな!というか、何だそれは?」 「ちょっと焼いたネギ。あと梅干しも持ってきた。」 「風邪に効くのか?だとしても調理してから持ってくるべきじゃないか?」 「食べるわけじゃないから。」 そういうとジーナがおもむろに私の首にネギを巻き始める。 「何をしている!」 慌ててジーナを止めようとするソロリスとは対照的に、ジーナは落ち着き払っている。 「何って、知らないの?ネギを首に巻くと、風邪が治るの。」 「そんなこと聞いたことないな」 「うちじゃ常識だったけど?」 「相手は皇女様だぞ?失礼だとは思わなかったのか!そもそも、見舞い品として不相応だ」 「じゃああんたは何持ってきたわけ?」 「俺は熱にうなされているレオナ様の苦しみを少しでも癒すために、この百合の挿し花 を、」 「花見たって、風邪は治んないでしょ。ネギは巻いたら、すぐ治るのに。」 「いや、ジーナ、お前、風邪をひいたことなんて無いと先日言ってたばかりだろう。」 「ねえ皇女様、頭痛とかはある?」 「俺の話を無視するな!」 ソロリスの方を向いていたジーナが、こちらを覗き込む。 「そうですね、朝方よりは和らいでますが、まだ少し痛みが...」 「分かった。」 そういうと、ジーナが梅干しと先ほど言っていたものをこめかみに乗せ始める。 「おいジーナ、流石にそれは...」 「昔からよく効くって言われてるやつだから。」 「ただの⺠間療法だろう?」 ぼんやりとした意識の中、2 人の言い合いが聞こえてくる。言い争いを止める気力もないま までいると、突然いつもの 2 人組の声も介入してきた。 「ソロリス!ジーナ!騒いじゃだめだよ!」 「レオナ様は風邪ひいてるんだよ?」 「...まさか、お前たちに説教される日が来るとは。いや、その通りだ。すまない。ジーナ、 帰るぞ。」 「...はあ、じゃあね、皇女様、それ外さないでね。」 「今はゆっくり、体調を回復させることに専念してください。それでは失礼します。レオナ 様。」 2 人が去ると、戻ってきた部屋の静けさに包まれる。感情を昂らせることなく淡々と私に仕 えてきたソロリスが、ジーナが来てからは情緒豊かになったように思う。本人は振り回され て苦労してるかもしれないけれど。 「レオナ様、どうしたの?」 「なんか楽しそうだね。」 無意識のうちに表情に出てしまっていたらしい。気づけば頬が緩んでいる。 「ソロリスやジーナ、もちろんあなた達も含めて、私は出会いに恵まれている。そう思った のです。」 「僕たちも?」 「ええ、もちろん。いつも私の側にいてくれてありがとう。」 「これからも一緒にいてあげるね、レオナ様。」 「ペネルペ、そろそろ行こうよ。」 「そうだね。レオナ様、おやすみ。」 2 人が歌いながら部屋を出ていく。1 人になると急に眠気が重みとなって瞼が落ちてくる。 誰よりも私を敬愛し、皆をまとめ上げてくれるソロリスに、確かに言動は大胆で驚かされる けど揺るがぬ強い芯を持つジーナ。そして戦う 2 人と彼らを心配する私を見守り、安らぎを くれるパピコとペネルペ。 私なんかに付いてきてくれる皆が誇れる主として、争う時代を生きる国を統べる者として、 私は彼らにどのような姿を見せられるだろう。
気ままな新人剣士 side by ソロリス
「ジーナ・ローレンよ。ユーリー・ブルーの誇り高きデイム、その重責を背負う覚悟はありますか。」 レオナ様の声が謁見の間に響く。ジーナ・ローレン、俺に続くレオナ様に仕える2人目の騎士。孤児院の生まれという、騎士としては珍しい出自を持つ彼女は、式典とは思えないほど身軽な格好で現れた。 「…初めて剣を持った日から、心は決まってる。」 決して筋骨隆々というわけではないが、不思議と圧を感じる。兵士から報告される功績の数々は、誇張ではないようだ。ただ、レオナ様への言葉遣いは教える必要があるな。 「お前も明日から馬鹿みたいに働くことだな、ソロリスのように」 「ソロリスはいつも口うるさいから無視していいぞ〜」 パピコ、ペネルペ、叙任式の最中だぞ。あと俺のことは無視するな。そう嗜めようと口を開こうとすると 「…誰?この偉そうなガキ共。」 指導の必要性を強く感じる言葉遣いだ。いや、そんなことを考えている場合じゃない。 「確かに、失礼で偉そうだが、これでもレオナ様の側近だぞ!せめて言葉を選べ!」 「あんたも人のこと言えない気がするけど。」 「ソロリス、落ち着いて。」 「ですが、レオナ様!」 何故だか俺の方がレオナ様に諭され、叙任式が再開した。レオナ様は寛容な御方だ。パピコやペネルペの奔放さもジーナの不作法も、まるで何もなかったかのように受け止めてしまうとは…。思案に耽る内に、気づけば式は終わっていた。 「ではソロリス、ジーナの案内を頼みます。」 「かしこまりました、レオナ様。」 新たなデイムに向き合い、改めて挨拶をする。近寄ると思いの外普通そうに見える。 「ジーナ・ローレン。同じくレオナ様の護衛を務めるナイト、ソロリス・ランスだ。共にレオナ様を、そしてこのユーリー・ブルーを守るために尽力しよう。」 「あぁ、よろしく。」 言葉が続くのを待っている間に、沈黙が流れていく。よろしくって、まさかそれだけか? 「何?言いたいことはそれだけ?」 「いやいや、むしろ俺が言いたいが…まあ良い。とりあえず、この城を案内しよう。」 自由奔放で予想ができないパピコとペネルペや寛大さが過ぎる故に何かとハラハラさせるレオナ様に加えて、この短時間で癖者だと分からせてくるジーナ・ローレン…。一抹の不安を抱えながら、迷路のような城内を案内していく。 「へえ、やっぱり皇女様の住む所は違うね。」 「ああ、ユーリー・ブルーの職人の最高傑作とも言える装飾が施されているからな。神々しささえ感じる。」 ふと、廊下に設置された鏡を一瞥すると、この荘厳な王宮の美しい回廊には似つかぬ服装のジーナの姿が映る。当然、ジーナと並ぶ自分の姿も目に入った。改めて、自分の恵まれた生まれを自覚させられる。 「ねえ、皇女様の護衛って、私とあんただけ?」 「急だな…。直属の護衛はナイトに任されているからな。レオナ様の護衛は俺たち2人だけだ。」 「まあ、それなりに歩兵も大変だし、護衛ができる奴が少ないのも当然か。」 「ああ、お前は歩兵としての武勲を評価され、昇格してデイムになったんだったな。」 「それ以外の方法があるの?」 「知らないのか。騎士になるには、お前のように歩兵として戦場で成果を挙げる方法の他に、ナイトもしくは元ナイトからの推薦を受けるという方法もある。」 「へえ、お前はってことは、あんたは二つ目の方法ってこと?」 「…ああ、俺の家は代々ナイトを輩出している家系でな。幼少から、ナイトになるための剣術はもちろん、戦術や礼儀作法、騎士道を叩き込まれ、ふさわしいと認められた者が同じくランス家のナイトの推薦を受ける。」 「ふーん、子供の頃からか。英才教育ってやつ?子供の時から勉強とか、想像つかないね。絶対やりたくない。」 「まあ、そうだな。俺は特に辛いと思ったことはないが…。」 「…変わってるね。私は闘うくらいしかできないから、それ以外は期待しないで。てか、そこらへんは全部任せるから。」 「ふっ、他力本願だな。」 今までのジーナの苦労を思えば、想像もつかないほどの諦めの早さに、思わず小さく笑ってしまう。実力でデイムになった者がいる手前、引け目を感じていたはずの自分の出自。いつの間にか、心にあった言いようのない居心地の悪さも消えていた。 「これで案内は終わり?帰っていい?」 「いや、まだまだ教えたいことはある。言葉遣いもマナーもある程度は心得てもらいたい。だがまあ、焦る必要はないか。」 これから教えればいい、そう楽観的に捉えてしまったこの時の自分に、こう忠告してやりたい。教えて身につくのは、本人に身につける意思がある場合だけだと。 「おい、ジーナ。カトラリーは外側から使うんだ。」 「何、カトラリーって。ちゃんと食べられてるんだから良いでしょ。」 「こら、ジーナ、パンを一口で食べようとするのはやめろ。少しずつちぎれば良いだろ。」 「あんたみたいに小鳥の餌くらいにすれば良いの?めんどくさ。」 「ジーナ、何回も言わせるな。骨付きの肉は骨と切り分けてから食べろ。骨は持ち手じゃない。」 「胃に入れば同じことでしょ。この肉うまかった。」 「うまい、じゃなくて美味しい、な。全く…。」 何が起こるか分からない混乱の時代。どれだけ注意しても変わらないジーナを見て、心のどこかで安心してしまうのは、俺の勘違いだろうか。
俺の進む道 side by リュウソウ
3国の中でも高水準の軍事力を誇るレッド・エイジの入隊試験。充実した練兵のプログラムを行うため、3年に一度しか開催されない。一度挑戦に負ければ、次はまた3年後。そのピリついた空気の中で、1人喧しく話しかけてくる男がいた。 「なあなあ、今日っておやつ持ってきていい感じ?俺、めっちゃ持ってきちゃった」 知るか。致死量になるまで食え。 「なあ、教官がめっちゃ美人だったらどうする?俺、訓練どころじゃなくなるかも」 いたとしてもお前には興味ねえだろうよ。 「試験って何時からだっけ?もしかしてお弁当とか必要だったりする?」 「お前、本当に兵士志望か?冷やかしに来たなら他を当たれ。迷惑だ。」 「おっ、やっと喋った。てか、兵士志望に決まってんだろ!この国の姫さん、美人らしいし、すげえ敵倒せば、褒めてもらえるかもしれねえし!」 「お前…本当に救いようがないな。そもそも、その程度の心構えで受かるとでも思ってるのか?この試験の難易度の高さが分かっていないなら、その態度も納得だが。」 「心構え?とかはよく分かんねえけど、俺は受かる!強いしな!」 レッド・エイジの入隊試験は運動能力だけでなく統率力や判断力など多面的な評価で合否を決める。俺のように単純な戦闘能力では自信がなくとも合格する可能性は十分にあるのだ。だけど、こいつは、こいつだけは落ちる。そうであってくれ。 結果から言うと、願望に近い俺の確信は外れた。いや、それどころか見事に裏切られたのだ。そいつは受験者の中でトップの成績で、歴史的に見ても指折りの結果を残して合格した。 「な?受かっただろ?しかも、なんか姫さんに期待してるとか言われちった〜」 「…良かったな。話したかったんだろ?」 「んーまあ、美人だったけどー、好みじゃねえや」 今の発言が総督妃の耳に入って打首にならねえかな、こいつ。ていうか、なんで入隊してからも話しかけてくるんだよ。俺の倍以上の早さで出世していったくせに。 「お前…今の発言が誰かに聞かれてたらどうするんだ。無礼にも程がある。」 「だってさあ、なんか…子供っぽいっていうか馬鹿そうっていうか、俺はもっとお姉さんって感じの人が好きなんだよ!お前も会ったら絶対分かるって!」 「お前以上に馬鹿な奴なんてそうそういないだろ。さらに危ない発言するな、馬鹿か。」 試験に合格した後、こいつはすぐに訓練生の課題を修了し、あっという間に副隊長の座まで上り詰めた。そうなっても、こいつは俺に絡んできた。心底鬱陶しかった。本当に。 『あれ、お前、所属の数字付けてないってことは、まだ訓練生なの?おっせえー』 「…余計なお世話だ。もうどこかの隊に所属できている兵士なんて一握りだろ。お前が今副隊長になってることの方が異例なんだよ。」 「まあ、俺は超強いから当たり前だけどさ。お前はよえーし、頭かてーし、向いてないんじゃね?なんで兵士なったの?」 「…お前には関係ない。」 「よし!俺がレイに軍師にしてやれって言ってやるよ!頭だけは俺より良さそうだし、お前、戦場に行ったらすぐ死にそうだしな。』 「は、はぁ?何を勝手なことを…、ってレイってまさか、オウ・レイ隊長のことか!?」 「あ、知ってんの?話がはえーや。俺、昔からの知り合いなんだよね」 「知ってるに決まっているだろ!というか、この国の国民なら、ましてや兵士で知らない者などいない。…お前がレイ隊長と昔からの知り合い?しかも、軍師に推薦するとか言ったか?」 こいつより高性能である俺の脳でも理解が追いつかない。情報を整理し、推薦はやめてもらおうという結論に辿り着いた頃には、とっくにあいつは勝手に話を進めていた。そうして、俺は特別試験を受験し、入隊試験が馬鹿らしくなるほどトントン拍子に軍師になった。 軍師になって良かったと思ったことはないし、あいつへの感謝への気持ちも微塵もない。あいつより優れているのが頭だけだとも思わないし、生き方にも全く共感できない。だが良くも悪くも、あいつが俺の人生に与えた影響は計り知れないほど大きい。それで恩着せがましくしないのも、なんとなく癇に障る。 「リュウソウ?」 名前を呼ばれ、ハッと我に返る。俺の肩に頭を預ける彼女を一瞥すると、退屈そうに自分の扇子を開いたり閉じたりしている。 「それで、バ・タクっていうのはどんな人なの?オウ・レイより厄介なのかしら。個人的には、頭の悪そうな印象しかないけど。貴方と違って、ね?」 お互いに頭が悪そうと思いながら顔を合わせている場面を想像すると滑稽で笑えてくる。今からでもあいつが受けた印象を俺が教えてやろうか。 「…ええ、あいつは良くも悪くも常識の外側を行く、真っ直ぐな男です。単純な運動能力や戦闘力ではレイ隊長よりも上でしょうし、敵に回せば厄介この上ないでしょうね。」 「詳しいのね。見知った仲なの?」 「…わざわざ語って聞かせるほどの交流はありませんよ。」 「そう。それで、味方につける算段はついているの?あの人は、バ・タクをかなり評価しているようだったけど。」 「レイ隊長もバタクも総督様についていくことを何ら疑問に思ってはいないですからね。総督様からしても使いやすいだろうと思います。」 「あんな人に従って生きていくなんて、彼らの感性が信じられないわ。小心者で頑固で優しいふりをした臆病者に。」 吐き捨てるようにそう言った彼女の視線は、次に俺に向いた。 「カン・リュウソウ、貴方がいてくれてよかったわ。貴方がいなきゃ、あんな人とそれを盲信する兵士だけ。貴方は違う。」 自分の行動に対する絶対的な自信か、あるいは目的を達成する意志の強さからか。この女は迷うことなく突き進んでいる。 「たとえ大きな犠牲を出す結果になったとしても、小さな犠牲を出し続ける今を変える。あの人には理解できないのでしょうけど、やらなきゃいけないことよ。」 どこの国が勝とうが、誰に支配されようが、俺は興味はない。なのに、正義も美学も持ち合わせないまま、俺はどこに向かおうとしているのだろう。 「オウ・レイもバ・タクも、あの総督も踏み台にして、私と同じ未来を見てくれる。そうでしょ?」 踏み台、その言葉の響きが心地よく感じた。
スノーボール side by レイ
戦ばかりが続く毎日には、もう慣れっこになった。そんなの一番隊の隊長として当然のことだ。胸を張って歩き、弱みを握らせず、技を磨き続ける。それこそが俺の使命なのだから。 ―そう、ずっと思っていたのだがな。 スーという少女に命を救われてから、今日で3日。同じ色なわけでもないのに、助けてきた娘。彼女がいつだって笑っているのが、俺には不思議で仕方がない。そして俺までそんな一人の娘と出会ってから妙に表情筋が緩んでいる気がするのも、解せぬ。 笑みは隙を見せる。その者が何に幸せを感じ、何を大事に思っているのか、その者の笑みが溢れる瞬間を捉えればわかる。だから俺は今まで、あえて笑わないように努めて生きてきた。何があっても堂々と、威厳を持って。冷徹に人を殺す者に、笑みなど似合わぬ。 だがスーは俺とは真逆で、どんな瞬間も笑っている。そして長年にわたって人の隙を見抜き続けてきた俺には、それが間違いなく心を許した笑みでないと分かる。 なぜ其方は無理をして笑う? 相手に隙を見せぬためのカモフラージュなのだろうか。そして実は、あんな可愛い顔をしておきながら、攻め込む隙を狙っている……とか。 不意に肩を叩かれて、ハッとして振り向く。 「な、うわっ」 今ちょうど考えていた相手の顔がにゅっと迫ってきて、思わず飛びのいてしまった。 「ちょっと、驚きすぎ。どうしたの?って言ってるだけよ」 ああ、こちらも怪しい娘の一人、弥生だ。軽く睨みながら、距離を取る。 「う、うるさい。何もしておらぬ」 「ふうん、なんかクサイね」 弥生が小さな声で憎まれ口を叩き、すぐに器用な手つきで通訳をする。どうやら手話、とかいうらしい。スーは弥生と同様、一瞬不満げな顔を浮かべてから、俺の方に向き直る。 「それならよかった。怪我の具合はどう?痛かったり、苦しかったりするところある?って」 やっぱり、笑顔だ。さっきは少し不満げだったのに。どうして気持ちを殺して笑うのだ、この娘は。 「ちょっと、ぼーっとしてないで答えてよ、スーちゃんだって不安そうでしょ」 弥生の声にまたふっと意識が浮上する。 「す、すまない。もう具合は良い」 やはり俺は疲れているのか?こんなに黙り込んで考えるなんて柄にもないな。それでも自然に彼女の方を見てしまうのは、無理をした笑みが気になって仕方ないからだ。 じっと見ていると、スーが不思議そうに小首を傾げた。 「この人、ほんとに大丈夫なのかしら…って、あ」 「弥生!手が空いているならこっちにきて備品の調節を手伝ってくれ!」 男の声が聞こえて、少し体が引き締まる。これは確か、タカマツと言ったか。敵ではないが、侮れぬやつだ。 「じゃあ私行くね。スーちゃん、危ないことあったらすぐにげて」 なんだこいつは。俺がこのようなか弱い女子を急襲するような卑怯者に見えるのか? 「え?この人怪我してるから手荒な真似できないよって?ダメダメ、この人の視線、怪しいし!」 は?と振り向く俺と驚いた顔でこちらを見たスーの視線がふっと絡まる。スッと一本芯の通った身体に、あどけない顔がちょっと不釣り合いだ。戦士には、その……可愛すぎる、というか。変なことを考えた自分にドキッとして、思わず顔を背けた。急いで顔を上げると、少し悲しそうな顔が見えて慌てる。 「あ、じゃあ急ぐから、ほんと、気をつけて!」 パタパタと走っていく失礼な女を見送ると、急に冷静になった。 なんだ、ドキって?いや、そんなことはいい。なぜ彼女は悲しそうな顔になったのだ? スーは弥生を見送った姿勢のまま少し止まっていたが、やがてパッと部屋を出ていった。 やはり、怖がられているな。 はあ、とため息が漏れる。もうなんだか、感情がゴチャゴチャだ。 『やっぱり、元気ないね』 急に目の前にスケッチブックが差し出されて、びっくりした。ああ、スーか。戻ってきていたのか。 「これ、は?」 『筆談。私、聞こえないから。ごめん』 ペンを持つ時、彼女は笑ってはいない。少し悲しそうな顔だ。 「謝ることはない……あ、そうか」 聞こえない、のか。声では伝わらないのだったな。渡されたペンでスケッチブックに書く。 『謝罪は、隙を見せる。不要な謝罪はいらぬ』 これで、伝わるのか? そっとスーの顔を見ると、彼女はじっとその文字を見つめてから、小さく、本当に小さくふふっと笑った。今までの中で、一番楽しそうな、笑いだが……いや、面白いところなどあったか? 「何がおもしろ……あ」 先にペンを取られて、俺は仕方なく口をつぐむ。 『遠回しだけど、優しいんだね』 「な、そんなんではないぞ!」 彼女が俺を見る。そしてまたいたずらっぽく笑った。 『不器用で、頑固』 「お、おい、馬鹿にしているだろ!」 堪えきれないというようにまた笑う。何が面白いかさっぱりわからない。だが、そんなことなどどうでもいいと思えるくらい、初めて見た彼女の真の笑顔が可愛くて、少し見惚れてしまったのも否めぬ。 ひとしきり笑ってから、何かを思い出したように彼女は先ほど持ってきたのだろう皿を取り出した。 ころんとした白い塊が並んでいる。これは、菓子か? 「す?すのー、ぼーる?」 大きめな彼女の口パクに合わせて声を出すと、スーは満足そうに頷いた。私に一つ持たせて、自分も一つ取る。彼女はそれをパクッと口に放り込んで、サクッサクッと音を立てて噛み、ふわっと笑った。まるで花が綻ぶように。 ふと彼女が俺を見て、食べないのかというように首を傾げる。 「あ、いや、い、いただく」 スーに覗き込まれて恐る恐る口に入れる。途端にやわらかい甘さが口に広がった。 「む、これはうまいな!」 スーは俺の言葉がわかったのか、ちょっと嬉しそうに頷くと、ぽんぽんと自分の頬を叩いた。あ、と気づいたようにこちらを見て、もう一度同じ動作を繰り返しながら口を動かす。 「ん?おいしい?ああ、それは美味しいという意味なのだな!」 なるほど、これが手話か。俺も自分の頬を叩く。 「うむ、美味しい、な」 満足げに頷いて、今度は先ほどの皿をさす。ええと、すのーぼーる、だったか。 スーは口を動かしながら、今度は二つの動きをした。一つ目は親指と人差し指で描いた円を上から下へ揺らしながら下ろすもの。 「すのー、か。これは雪?のようだな。」 真似をしながら呟くと、唇を読んだらしい彼女がパッと顔を輝かせて頷いて、二つ目にうつる。両手で丸いものを包むような……ああ、ぼーる、ボールか。 スーに合わせて手話を続けながら、ゆっくり口を動かす。 「スノー、ボール、おいしい」 そうそう!と髪を揺らしてスーが笑ってくれる。こちらまでつられて頬が緩む。 「手話って、案外簡単なのだな。また……あ」 スケッチブックに手を伸ばすと、取ってくれようとしたのか彼女の手も同じところに伸ばされていて、一瞬触れる。まただ。また、ドキッとした。 スーは手をひいた俺を見ると、わずかに眉を下げる。 あ、そうか。俺がスーを嫌って、避けているように見えているのか?そうではない。その、ドキッとしてしまうというだけなのだ。 スケッチブックを急いで取って、そこで手が止まる。誤解は解かねばならぬ。だが、適切な言葉がわからない。諦めて、少し違う言葉に変えた。 『手話をまた教えてほしい』 彼女はスケッチブックを見ると、ふっと微笑み、俺の文字の横にサラサラとペンを走らせる。 『不思議な人』 意味が捉えきれずにスーを見ると、優しげに微笑んでいた。ああ、今にも吸い込まれそうな美しい笑顔だ。 時間はかかるだろう。だがやはり彼女のことを知りたいという衝動に駆られる。俺が笑うと、彼女も笑う。そしてまた逆も。その瞬間を思い出すたびに、なんだかまた胸がドキッとする。無理して笑っている時よりも、ずっといい。あれに立ち会えるなら、俺が多少気を許して、彼女に隙を見せるのも悪くないかもしれぬ。 だってまた見たいのだ。彼女の無邪気な、真の笑顔を。
暮れなずむ side by 恵太
診療所に俺が与えられた部屋は小さい。角部屋だから家具もあまり置けなくて、寝るくらいしかやることがない。そんなこんなで俺は、こっちの世界に来てから考え事をすることが増えた気がする。 「えっそうなんだ!スーちゃんもお菓子、好きなの?」 庭の方から弥生の声がかすかに聞こえてきて、ちょっとほっとしている自分がいる。あいつがいれば、なんだかんだことは上手く進むんだ。 俺が弥生に初めて出会ったのはいつだったか。正直よく覚えていない。なぜって俺たちは物心ついた時から常に一緒にいたからだ。まっすぐな弥生は、いつもビビってばかりの俺の前を歩く女の子だった。だから記憶にあるのは、背筋の伸びた頼もしい背中ばかり。 なんか、俺ってやっぱ男として情けねーな。本来、立場逆じゃね? あんな気味の悪いナンパじいさんにだって、本当は俺はついて行きたくなかった。今だって正直、こんな戦争ばっかしてる国の病院のスタッフとか、もうよくわかんねーけど怖い。ひたすら怖い。 「あーーっ帰りてぇ!」 誰もいない部屋に意気地なしの俺の声が反響して、なんかますます嫌な気持ちになった。 ちぇ、こーゆーのって叫ぶとすっきりすんじゃないのかよ。 「おい、今叫んだの、お前か?うるさいぞ」 「うわっなんだよっ」 急に扉がガラッと開いてぎょっとした。なんだ、敵かと思ったじゃないか。 「た、タカマツさん」 「ああ、タカマツだ。お前は昔からうるさい。いい加減にしろ」 そんなこと言われたって、お前、俺の昔なんて知らないだろ。俺らついこないだ来たばっかだぜ。ちろっと顔を向けた俺が反抗的な目をしていたのか、タカマツはぎゅっと眉根に皺を寄せた。いくつなんだか知らないが、若手鬼教師、的な怖さがある人だ。 「てーめぇ、生意気だな。せっかく相談にでものってやろうかと思って来てやったのに」 この医者ほんと口悪いな。はあ、とため息が漏れる。あなたに相談できるような悩みじゃあない。 「お気持ちだけで十分です。なんか一日忙しくて疲れただけなんで」 わざと投げやりに行って帰ってもらおうと思ったのだが、かえってタカマツはよってきて、隣に腰を下ろした。 「俺も若い頃はお前みたいなもんだったさ。聞くか?昔話。ああ、聞くよな、わかった」 いや、あの何にも言ってませんけど。 俺のことは見えてないのか、タカマツはおもむろに語り始める。ったく、自分勝手かよ。 「俺にはな、最愛の女ってのがいたんだよ。今となっちゃすんごい昔の話みたいな気がするけどさ。そいつは本当に可愛くて、いつも楽しそうに笑ってた。戦争が始まっても、周り中が暗い気持ちになって塞ぎ込むようになっても、彼女はくだらない話をたくさんしていつも場を明るくしてくれた。強い子だった。俺はもうぞっこんだったから、彼女が行くところについていきたくて、彼女が見る景色を見たくて、ひたすら追いかけて。そして俺の猛アプローチに根負けして、一緒になるって約束してくれた。で、俺も彼女も医者になって、二人の診療所を開いた」 そこまで話したタカマツはふいに目の前の壁を優しく撫でた。愛おしくてたまらないというように。 「非力な俺たちでは戦争を止めることはできない。だからせめて体や心が傷ついた人を癒せる場所をひとつでも作ろうって。どの色にも染まらず、自分たちが正しいと思う平和を守るために、病院は白い壁にした。 だけどすぐ、そんな生優しい綺麗事で済む話じゃないって気付かされた。戦傷者は後を立たず、病院はいつも人手不足に悩むようになった。俺もあいつもバラバラに出向いて、治療して、ほとんど二人の時間はなかった」 ぷつり、と唐突に話が切れる。見ると、彼は唇を強く噛んでいた。 「その日、俺はいつも通り診療を終えて家で、ここであいつの帰りを待っていた。窓の外からあいつが見えた。白衣が泥や血で汚れていた。激しい戦地に行っていたらしかった。窓越しに目があって手を振った。その拍子に後ろに人影が見えた。男らしかった。そいつは、そいつは、」 タカマツの拳が彼の膝を叩く。ごっと鈍い音がした。 「その人影は、俺の最愛の女を刺した」 刺した。その言葉の重みが胸に落ちてくる。理解するまでに時間がかかった。つまり、それは……。 「通り魔みたいなもんだったのかね。その男は刺してすぐ逃げた。何かしら事情があったのかもしれない。その男の敵を、あいつがたまたま救ったのかもしれない。でも、でも彼女は!あんなに人を助けて、それなのに、それなのに……!」 タカマツは堪えきれないというようにぎゅっと目を瞑った。俺の胸まで締め付けられるようだ。もしそれが、俺の最愛の人だったら。考えたくもないようなおぞましさだ。 タカマツは唐突にふぅーーっと息を吐き出すと、小さくつぶやくような声を出した。 「今日、彼女の命日なんだ。あれからもう10年が経った。もう大丈夫だと思ったんだがな。やっぱり口に出すと思い出しちまうもんだな。俺もまだまだってことかねぇ」 はは、と乾いた笑いを作るタカマツが痛々しくて、思わず目を逸らしてしまった。強くなろうとしてもなれない俺と、もしかしたら似ているのかもしれない。ただこの医者の方が、少し隠すのが上手いだけで。 「でも奥さん、きっとあなたが医者として働いてる姿見て、誇らしく思ってると思います」 タカマツはふっとこちらを見て小さく笑った。 「たまにはお前もいいこというんだな。 彼女、死ぬ間際に言ったんだ。人が人と戦うのは、人だから。でも人が人を救うのも、人だから。だからあなたは生きて、そして救って、とな。俺はその言葉に従うことしかできなかった。弱いよな、ほんと。俺は守りたいものが何か、そのものを失ってから気づいたんだ。 実はさ、彼女とともに救った最後の患者がスーだったんだ。彼女が感じるはずだった幸せのぶんまで、スーには味わわせてやりたいと思ってる」 そこまで言うと、タカマツはまた辛そうに目を伏せた。 「でも、だめだ俺は。いつもスーに無理をさせてな」 諦めのこもった表情に、思わず言葉が出る。 「そんなことないです。きっとタカマツさんの想いはスーちゃんにも届いてますよ。だって、彼女はタカマツさんのこと、あんなに信頼してる」 タカマツがほんとか?というように訝しげに目を細めるから、思わず追加で頷いてしまった。 「そうか、そう思うか。お前、案外いいやつだな」 案外って、なんだよその余計な一言。でも今は、そんな憎まれ口を叩く気にもなれなかった。 「俺だって、弱い男です。好きな人を守ることもまともにできない。逆にいつも励まされてるし、守ってもらってばかりだ」 タカマツが興味深そうにこちらを見ている。 「だから、お、俺にできることはあいつを心から信じてついていくことだけなんです。どんな時も信じて、信じてついていくんだ。たとえそれが、意味のわからない怖い世界だったとしても。せめてあいつのそばにいて、ほんの少しでも心の支えになりたいから」 一呼吸置く。なんか恥ずかしくなってきた。何を言わされてんだ、俺は。 「つ、つまり!あなただってそんな風に後悔したり迷ったりしてる暇があるなら、ついていくために頑張ればいいってことですよ!奥さんは言ったんでしょ、人を救えって。それならその、あなたは道を踏み違えてはいないです。スーちゃんだってそれはわかってます。だからあなたにはいつも俺には読みきれないくらい早い手話をする。あなたは立派ですよ!むかつくけど!もうそのままでいいんですよ!悩むのやめてください!なんかこっちも、調子狂うんですよ!」 鼻息の荒い俺に圧倒されたのか、タカマツはぽかん、とした顔をしていた。少しして、憑きものが落ちたようにワハハッと笑う。ひとしきり笑うと、またいつも通りの意地悪な顔でニヤリとした。 「先人からのアドバイスをするどころか、逆に助けられちまったよ。 お前は、昔の俺なんかじゃないんだな」 「え?」 元に戻ったと思ったらなんなんだ、この人。でもこうでないと、俺だって気持ちが悪い。 「お前はよくわかってるってことだ、守るべきものを」 その横顔はもう晴れ晴れとしていて、強い光を持った目で遠くを見つめていた。まるで、二度と会えない彼女へ何かを伝えているかのように。 そうだ、俺はまっすぐで、時々突っ走りすぎる弥生を守りたいから、ここまで来たんだ。不服ではあるが、タカマツに思い出させてもらった。 弱音を吐いている場合ではない。 タカマツの目線を追い、じわりと滲む夕焼けを見つめる。 俺は必ず、あいつの彼氏として弥生のことを守り抜かなければ。それが時に、逃げるという彼女の最も嫌いな手段であっても。